演目紹介
清目
この舞は、観客の皆様をはじめ、この舞殿を祓い清める一人舞いです。
八ッ花
剣のさばきもあざやかに、七座の舞の奥義をつくす四人舞です。持ち物は、弊・鈴・扇・剣で、構成は幣の段、剣の段、扇の段の三部構成になっています。
山神祭
 弟 須佐之男命の行いがあまりに乱暴なので、天照大御神はそれを嘆き天の岩戸にお隠れになりました。八百万神たちが色々と相談をされた結果、天照大御神に岩戸より出て頂く為に、岩戸の前を榊で飾り、楽しい神楽の舞をしようと言うことになりました。
 その計画に従って天津児屋根命は、岩戸の前を飾る榊を取りに天の香具山へと向かわれました。ところが香具山の主、大山津見神が留守であったため無断で榊を持ち帰ろうとされました。丁度その時、東の国から帰ってこられた大山津見神がそれを見つけ奪い帰そうとされましたが、そのわけを聞かれ、心よく榊をお譲りになりました。感謝された児屋根命は、褒美として十握の剣をお授けになりました。大山津見神はその剣で東西南北、中央、黄龍を舞い固められ、岩戸開きに協力されたという神楽であり、この悪切りの剣舞は、もっぱら災禍を払い除く舞として尊ばれています。
国譲
 大国主命が天照大御神の御詔に従って、国土を皇孫ににぎの命に献上されるという神話を神代神楽にしたものであります。
 天照大御神のお使いとして、高天原から天下られた武見雷槌命と大国主命が、稲佐の浜において国土献上について話あわれました。その結果、大国主命は、御子神 事代主命共々、国土を献上されることになりました。
 しかし、気性の猛々しいもう一人の御子神 建御名方神は承服されず、力を持って立ち向かわれましたが、使いの神には勝てず「われを助けたもうなれば親子もろとも皇孫に従い奉らん」と、国土を献上することに賛成されました。
 このことに感謝された天照御神は大国主命には出雲へ、事代主命には美保関へ、建御名方神には信州諏訪の地にと、おのおの社をたて、その志に報いられました。
 それが現在の出雲大社、美保神社、諏訪神社であります。
茅ノ輪
 須佐之男命が備後の国(今の岡山県)を回られたとき、激しい暴風雨にあわれました。一夜の宿を求め、黄金の蔵を幾つも建て、多くの召使を使うほどの豊かな巨旦将来の家を訪ねられましたが、一言にして断られました。一方、蘇民将来は、極めて貧しいものでありましたが、大変慈悲深く、喜んで一夜の宿を提供しました。命は、蘇民将来の正直で慈悲深い心に打たれ、「茅ノ輪」をお渡しになり、永く家門にかけ、子孫に伝えるならば必ず栄えるであろう、と告げ、立ち去られました。
 やがて、過津日神と言って、疫病の神が現れて猛威を振るいました。巨旦将来はたちまち滅びてしまいましたが、心の正しい、情け深い蘇民将来は、「茅ノ輪」のおかげで難を逃れ、末永く栄えたという神楽です。
磐戸
 岩戸の舞は、古事記上巻、天の岩戸の物語を神楽化したものです。高天原において、須佐之男命の度重なる乱暴に困りはてられた天照大御神が、天の岩戸にお隠れになったため、世は常闇となってしまいました。そのため諸々の悪業がはびこり、諸々の疫病がはやりだしました。八百万の神たちはこれを深く嘆き、何とかしようと色々相談をされます。なかでも大変知恵のすぐれた思兼命の計らいで、天津児屋根命は香具山の真榊で岩戸の前を飾り、太玉命は祝詞を奏上し、長鳴鳥を鳴かせ鈿女命に神楽を舞わせました。天照大御神が何事かと岩戸を少し開けて外の様子を見ようとされたところを、待ち構えていた手力男命が、この岩戸をこじ開けて天照大御神をお出ししたため、世の中に再び光が甦ったという物語です。
田村
この舞は、平安時代に戦の神様とあがめられた歴史上の人物、坂上田村麻呂の武勇伝を神楽にしたものであります。田村麻呂は、ひとたび怒ると猛獣をもたちまち倒し、笑えば、赤ん坊もよくなついたと伝えられ、蝦夷(今の東北地方)を平定したことはあまりにも有名であります。
 神楽では、伊勢の国(今の三重県)鈴鹿山にまつわる田村麻呂の武勇伝を表しています。他の神楽に見られない里人と田村、里人と鈴鹿山に住む鬼丸、また観客との駆け引きが面白く、近在では「勘太郎」と呼ばれ古くから親しまれている神楽です。
日本武
人皇12代、景行天皇は、東の国、十二道の荒振る神や、まつろわん夷どもを平定しようとお考えになり、御子、日本武命に、この東夷征伐の詔をお降しになりました。日本武命は、先ず、伊勢神宮にお参りになり、御おば倭姫命より 天  叢  雲  剣と火打ち袋を授かり、これを持って遠く東の国に向かわれたところ、この二種の神器の徳により、たちまち荒振る夷どもを平定されたという勇壮な神楽です。
五行
 一年の順行が、春・夏・秋・冬と巡ってやまないのは、天があり、地があり、そして、木・火・土・金・水の五つの元気の相生があるからである、ということを神楽に現したものです。初めに東・南・西・北の守護神によって、天下泰平のの舞が舞われていたところ、中央の神の出現によって激しい争いとなりましたが、やがて登場の塩土翁の仲裁によって五行の神々は、各々その司るべき所管を与えられ、めでたく万物上の基が定まるという神楽です。
八戸
 須佐之男命が出雲の国、簸の川の川上に天降りになったとき、一人の姫を連れて嘆き悲しんでいる老夫婦にお会いになりました。命が泣いている訳をお尋ねにになりますと、老夫婦は、八俣の大蛇の荒ぶる様を詳しく話されました。命は、早速この大蛇を退治することを約束し、毒の酒を作り大蛇が出てくるのをお待ちになりました。やがて出てまいりました大蛇がその酒を呑み干し、酔いつぶれて眠ったすきに十握の剣を持ってお退治になり、その尾先から天叢雲剣を得られました。そして、稲田姫を妻としてお迎えになり、須賀のの地に立って「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」と和歌をお詠みになり、宮造りをされたという神楽でございます。
日御碕
 日御碕大神は、非常に力があり、弓の上手な命であったということです。その昔、唐土方面から我が国へ、彦春という悪者が大勢で攻め来たった時に、命は弓を持ってこれを防がれ、我が国の難を救われたことをを舞い納めた神楽であります。
 またこの舞を、夜明けの彦春とも言います。これは、命が悪者を平らげて、日本に平和が訪れてきたことを意味しているといわれますが、神楽では、一番最後にこれを舞うので、昔は、この舞が始まるころには夜が明け始めたこともしばしばあったそうです。そういうことから、夜明けの彦春とも言われたよです。